思わぬきっかけと展開で、全く異分野のグラフィックデザイン業界に就職した私ですが、そろそろ現役も終盤。現場でグラフィックの技術や知識を習得していったという、ちょっと特殊な私の経歴を整理してみようと思います。
それが、このブログにたどり着いた「デザインという異分野へのキャリアを進もうとする人」にとって、発想を転換したり、背中を押したり…と、何かの形でお役にたてばいいかと。
まずは、プロローグとして、きっかけから現在までを一気に書いてみたいと思います。
CONTENTS
- 1 宮崎駿に傾倒していた10代。
- 2 イラストばかり描いていた、理系の大学に通っていた学生時代。
- 3 学生時代に知ったApple Computer。デザインが気になり始める。
- 4 就職で印刷会社を選択、思わぬことが起こった。
- 5 2年で印刷会社を退職するも、幸運にもデザインの道へ。
- 6 デザイン事務所での仕事と勉強。
- 7 8年勤めたデザイン事務所と退社、webデザインの勉強とポートフォリオ制作。
- 8 2度のチャレンジでweb制作会社に入社、そこでの仕事と勉強。
- 9 webデザインの難しさと年齢。
- 10 約7年勤めたweb制作会社を退職、自営業へ。
- 11 印刷・web制作のグラフィックデザインのフリーランスに、仕事と勉強と難しさ。
- 12 自分の職歴を見返して思うこと。
宮崎駿に傾倒していた10代。
まず、私はどんな10代だったかというところからです。
10代は、あまり何かに打ち込んだりする少年ではなかったです。
ところが晴天の霹靂。
中学の頃、偶然見たアニメに衝撃を受けました。
それが、宮崎駿監督の未来少年コナン。
それまでアニメなんて子供騙しの出来とバカにしていたものが、その世界観やストーリー、ドラマ性の完成度の高さに、実写映画よりすごい!と打ちのめされたのでした。
この時から、一気にアニメファンになってしまったのですが、他のアニメは完成度は高いわけではなく、宮崎駿がすごいのだとわかり、そこから今に至るまで宮崎ファンとなったのです。
それまで絵を描いたりするようなことはなかったのですが、この頃からイラストの練習をしたり、アニメ、TV、映画の画面構成が気になって、自分なりに分析してみたりするようになりました。
その流れで、雑誌やプロダクトのデザインがイイものや、Appleのように先進的と思われるものに惹かれるようになっていきました。
今思うと、こんなことがデザイナーという職業に繋がったのだと思います。
逆に言うと、こういうちょっとしたきっかけが、将来の仕事まで左右するのだと思いました。
イラストばかり描いていた、理系の大学に通っていた学生時代。
高校では、理系クラスに進みました。
漠然とコンピュータ関連のことをしたい…という理由でしたが、内心はアニメーションの専門学校にいきたいと思っていて、一度、軽く家族にほのめかしたものの本気にされず、おとなしく理系の学校を受験することになったのでした。
しかし、こんな感じでアニメ制作に気持ちを置いてきたような大学生活は、全く身が入りませんでした。
通学の都合で下宿をしていたのですが、あまり学校へも行かず、いつもA4のコピー用紙にイラストや作品の設定のようなものを描いているような学生でした。
しかし、この学生生活で2度目の衝撃に出会うのです。
学生時代に知ったApple Computer。デザインが気になり始める。
2度目の衝撃というのが、AppleのMacintoshに出会ったことです。
それは、MacintoshがカラーのDTPを一気に進めた時期で、MacintoshのカラーDTPで作られたというMacintosh専門雑誌のデザイン性や完成度の高さに「こんなのが自分でもやりたい!」と思ったのでした。
しかし、当時のカラーMacintoshは、本体(Macintosh IIci)100万円以上+カラーモニター100万円以上+グラフィックボード…ということで、全部で300万円くらいかかり、とても学生個人が持てるようなパソコンではありませんでした。
しかし、そこからMacintoshの雑誌だけでも毎月買って、最先端のカラーグラフィックスに思いを巡らせていたのでした。
就職で印刷会社を選択、思わぬことが起こった。
そんな風に、Macintoshのカラーグラフィックに気持ちを行かれてしまったままの私ですが、就職の時期がやってきました。
今では、当時の考えを覚えていないのですが、私は、研究室の定番である電気関連の企業を受験せずに、なぜか地元の印刷会社を選ぶのでした。
これには明確な根拠はなく、漠然とMacintoshで知ったカラーグラフィックスの分野に近いと方へ向かおう、と考えたいたのかもしれません。
その地元に会社には、無事入社することができたのですが、扱いは電算室の要員だったと思います。
しかし、そこで驚くべきことが起こります。
なんと電算室への配属ではなく、デザイン部署の業務管理という場所への配属となり、そこには試験的にMacintoshが導入されていたのでした。
なので、午前中はデザイン部署の業務管理、午後からはMacintoshの運用…という、いきなりMacintosh担当となったのです。
これ、実は面接の時に、そういう部署があることも知らず「Apple Computerに興味がある」ということを話していたのがきっかけになって、ちょうどAppleを使う人間が必要という事案とフィットしたようでした。
普通ならデザインナーが割り振られるはずですが、こんなことが起こったのです。
全体としては、この会社での仕事は厳しく指導されることが多くとても辛かったのですが、デザイン学校へ行ったわけでもない私がMacintoshを使ってデザインのオペレーターをやったり、印刷業務全般のことを知ることができたり、デザインに繋がるような勉強ができたのはとても幸運でした。
特に、デザーナーがデザインした印刷データを作成するためにAdobeのIllustratorをこってり仕込まれたことは、後々まで仕事をする上で大きなの財産になりました。
2年で印刷会社を退職するも、幸運にもデザインの道へ。
Macintoshに触れるどころか使い方まで教えてもらった会社でしたが、あまりに厳しく2年で退社することになりました。
しかし、Macintoshオペレーターに就いた2年間、最後には印刷データはIllustratorでそこそこ作れるようになっていました。
会社を辞めて、今後どうしようかと思っていた頃、少し後に同じ会社に居た先輩が独立されました。
この方は私にIllustratorを教えてくれた方で。Macintoshの販売やサポートをするというので、私も少し手伝うことになりました。
そして、また嘘のようなことが起こります。
Macintoshサポートで動いていると、デザイン事務所でMacintoshが使えるデザイナーを探しているというのです。いや、私はデザイナーではなかったのですが、先輩とそのデザイン事務所の社長との話会いで、私を雇ってもらえることになったのです。先輩は、私が使うMacintishも販売できてwin winな話でした。
こうして、私はグラフィックデザイナーのスタートラインに立つことになったのでした。
デザイン事務所での仕事と勉強。
新しく勤めたデザイン事務所では、とても良くしていただきました。Macintoshは使えるとはいえ、デザインの素人である私に、デザインの技術を丁寧に教えてくれました。
そこでやったことは、とにかくかっこいいデザインを見ては「こんなの作りたいなあ」と社長とデザインの事について話したりしました。
デザインのイイ印刷物や雑誌を見つけては取り置いて、デザインの時に出してきて眺めたり、PIE BOOKSから送られてくるデザイン本、MdN、designplex、studio Voice、家庭画報、コマーシャルフォト…などは、何冊も買って何度も見ました。
そして、ここで、デザイン〜印刷・納品までの工程を教えていただきました。
ラフデザインを実際に撮影する際の撮影立ち会い・ディレクションなども、重要な経験でした。
決して妥協しない…というようなハードな取り組み方ではありませんでしたが、「ちょっとでもイイものを作りたい」という気持ちで、作業時間も長くなりいつも深夜近くなったり、締め切り前は午前様、コンペの提出日は徹夜になったりもしました。
それでも、どこか楽しくてデザインを作るために頑張ることができた時期でした。
8年勤めたデザイン事務所と退社、webデザインの勉強とポートフォリオ制作。
厳しくはなかったけれど、割と長時間労働を繰り返していたデザイン会社での仕事でしたが、景気が悪くなり解散することになりました。
今思えば、かなり効率の悪い仕事をしていたと反省しきりです。
当時の社長には、お世話になるばかりで、いい戦力になれなかったことが悔やまれ、思い出すともっと別のやり方ができたのでは?と思います。
退社したあと、やはりデザインで仕事をしようと思っていたので、リクルート用のポートフォリオを作ることにしました。
デザイン事務所で作った印刷物などをまとめるのですが…
この時、実際の成果物とは別に、作品データをCD-ROMにまとめることにしました。
たしか、この時Flashやhtmlを使ってブラウザーで見せるようなことをやったと思います。
ついでに、架空の設定でデザインしたチラシやパンフレットを作ったり、htmlを勉強し始めてwebサイトの真似事のようなものも作ってCD-ROMに詰め込みました。
今思うとこれが良かったようで、webサイトやCD-ROMを作れるという売りになったようで、割とリクルート先でウケが良かったようです。
また、思いつきとはいえ必要に迫られhtmlなどを勉強し始めたことが次へ繋がったと思います。
そして、地元でプロバイダーをやっている会社を受けることになったのです。
2度のチャレンジでweb制作会社に入社、そこでの仕事と勉強。
実は、この会社は一度落ちたのですが、半年後の募集を見て再度応募して採用となりました。
今思うと、一度落ちた会社に再度応募するのはどうかと思うのですが、当時は何も考えずに応募しました。
でも、そのおかげで合格することができました。社長は私を覚えていたと言うので、これも一つの手かもしれないと思っています。
この会社では、当時ホームページが始まった頃で、近隣業界のweb制作のレベルもそれほど高くなかったと思います。
私は、手打ちでhtmlが打てるようになるのが課題でした。
そのうち、AdobeのGoLiveが主流になってこれでなんでも作れるようになりました。
この頃は、htmlコーディングの方が優先で、ホームページのデザインはそれよりも下という扱いだったと思います。
なので、印刷物ではイマイチと思うようなデザインでもそのままコーディングして納品していました。
この会社では、レベルは高くなかったものの、県の金額の大きなデザインコンペが取れたり、いろいろな団体のホームページを作る経験をすることができました。
webデザインの難しさと年齢。
その後、4年くらいするとweb業界は急激に進み始めます。webサイトの制作テクニックの進化です。
最初の大きな波はhtml+CSS化です。
当時、動作がまちまちだったブラウザーに合わせるために、様々なハックを調べて対処していました。
私は、年齢も高くなっていて、この辺りから技術についていくのが大変になってきました。
その後、Java-ScriptやPHPなど動的なwebサイトを作るための技術をデザイナーが覚えなければならない時代に突入して、明らかにそれまでとは違い、脱落するデザイナーが出るようになっていました。
私は、だましだまし、自分のできる範囲でwebサイトを作ってなんとかやっているという状況。
約7年勤めたweb制作会社を退職、自営業へ。
web制作会社に勤めて7年ほどになって、私は退社することにしました。
理由は、通勤が遠かったので仕事の時間が取られることが気になっていて、もっと近いところで勤めれば制作を少しでもラクにできると考えたことと、web制作自体がきつくなってきたので、印刷物の制作もする会社へ移れないかと計算していたのです。
ところが、この転職はうまくいかず、不合格だったり希望に合わなかったりと、最終的に近場での転職は失敗しました。
そんなことをしていると、「採用はできないが仕事をやってくれ」という会社がいくつかあり、単発で仕事をするようになりました。
そんな期間が、1年程続いた時、もう就職は無理だと判断して、デザイン制作で自営業に転向することにしました。
ここからが、現在のお仕事につながります。
自営業というのは、これまでの雇われのみとは全く違い、大変なことが多いです。
しかし、自由さという点では捨てがたいものがあります。
その後は、この自営業という勉強が始まったような気がします。
そして、それはまだまだ続いている…そんな感じです。
印刷・web制作のグラフィックデザインのフリーランスに、仕事と勉強と難しさ。
話は少し戻りますが、転職活動の期間は、いろいろと見直すことがあり、苦手と思って逃げ腰だったCSSとJavaScriptをしっかり勉強しようと、そこに手をつけることにしました。
CSSはそこそこでしたが、JavaScriptの方はなかなか手がつかず、代わりに当時流行り始めていたMovable Typeでのブログ構築に力を入れることにしました。
これからは、これができればなんとかなりそう…という読みができたからです。
印刷デザインのようなアナログなことばかりをやっていた私には、Movable Typeの勉強は難しくなかなか難航しました。専門書も10冊ほど買いました。ネットの情報はまだ多くはなかったです。
それで、仕事で通用するかわからないけれど、なんとかMovable Typeでブログを構築できるようになっていきました。自分の写真ブログなどMovable Typeでデザインの細かいブログをいくつも作ったりしました。
しかし、Movable Typeは廃れてスタンダードはwordpressになっていきました。
また、いちから勉強のやり直しです。
ただ、今度はMovable Typeの下地があったので以前よりラクに覚えることができました。
今度も、デザインを変えて幾つもブログ・webサイトを作りました。
そろそろフリーかな…と思いはじめたこの時、県内のweb制作会社さんに仕事をもらうようになりました。
わりと軽微なブログデザインです。
そのブログは、地方ブログというくくりで展開していたプラットホームで、C-LogというCMSを採用していました。
私は、wordpressをやっていたおかげで、C-Logをなんとかカスタムすることができるようになり、いくつものサイトを作らせていただきました。
また、自分自身でも、このプラットホームを使ってたくさんのブログサイトを作って情報を発信することになります。
ちょうどこの頃、収入の柱を別に持とうと、ドロップシッピングを始めました。
これは、「ネット卸し」と言われるサービスで、アフィリエイトの物販版です。
このショップを作るのにwordpressを多用しました。
wordpressのおかげで、たくさんのショップを作れて売利上げもぼちぼち上げることができました。
しかし、wordpressはどんどん仕様が変わって行き、追いかけるのが大変で、これはもう追いきれなくなりました。
私はそこで、ストップしました。いまは出来る範囲で、難しいところはちょっとだけ調べながらチャレンジしてやっています。
また、最近はデザイン要素の強いwebサイトもJavaScriptなどで作られるようになって、これが全く追いきれていません。この辺りについてはお手上げで…
今ココ、という感じです。
自分の職歴を見返して思うこと。
長々と、私の辿ってきた道を書いてきましたが、ここまできて思うことは…。
意外に、憧れても無理だろうと思うことでも、結果たくさん実現していることです。
これには驚きます。
だって、猪突猛進したわけではないのです。
なのに実現してることがいくつもある。
これは、いつも「次の働き方を、頭でイメージしていた」ことを思い出します。
それにしても、危ない橋を渡ってきたと思います。
勤めを辞める事には、いつも自分のポートフォリオを作っていた気がします。
「これで自分をプレゼンするんだ…」という気持ちです。
仕事で制作するものは、そのまま自分の作品になるので、そういうつもりで仕事をしないといけない…と気が付いたのも良かったと思います。
いまなら、間違い無くスクールへ行きます。
スクールなら、知りたい技術が効率的に覚えられるし、最終履歴をリセットできる。
職歴+スクールで、相手にも信頼度を高められるからです。
退職してから、勉強するのは時間的にも経済的にも負担はありますが、
そのタイミングを利用して、次の勉強をしてきた気がします。
そんな働き方だったと思います。
以上です。
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